簡単な料理なら手間もかからず楽しいし苦にならない
朝6時
お弁当を作るために台所に行く。炊けてるお米を弁当箱に詰めていると、嫁が舌打ちしながらこう言う。
「ちっ、重なるんだよね」
今日から子供達が本格的に2学期が始まる。
僕は嫁が夏休み中こんなことを言っていたことを思い出した。
「朝早くお弁当作るの、ガタガタうるさいんだよね。当てつけるかのようにさ。もう少し静かにやってくんないかな。」
僕は決して、音はそれほど大きく立てていない。しかし、だし巻き卵を作ったり、電子レンジや冷蔵庫を開け閉めしたり、少し洗い物もするわけだから、無音というわけにはいかない。しかし、それほど睡眠を邪魔するようなデシベルは出していないと言い切れる。
では、なぜ嫁がこんなことを言うのかというと、多分こうだ。
嫁は料理が得意ではないし、好きでもない。だから、料理に対して人並み以上にコンプレックスを抱えており、僕のお弁当を作るのは面倒だししたくない。だからは僕は自分でお弁当を作っているのだが、そのことに関して僕は全く不満はない。案外、簡単な料理なら手間もかからず楽しいし苦にならない。
しかし、嫁はコンプレックスからか、勝手に負い目を感じているようで、僕があたかも不満タラタラで「お弁当も作ってくれないダメな嫁」と思っていると決めつけている節がある。だから、不慮のハプニングで少しでもお皿などの音が大きくなると、まるで僕が寝ている嫁に当てつけて音を出しているかのように感じているのだ。
なので、子供達が夏休み中は週に1度はこんな嫌味というか当てつけを言われた。しかし、夏休み明ければ、嫁も子供の朝食の用意などをするために同じ時間に起きるようになるから、こんな嫌味はもう言われまいと胸を撫で下ろしていたのだが、冒頭のセリフである。
僕のお弁当作りと朝食作りのタイミングが重なってやりにくいという舌打ちである。そんなのお互い様だろう、舌打ちしながらそんな言い方しないでもいいんじゃないか?とは、朝から喧嘩したくないので我慢して、待ってるから先に作っていいよと譲った。
お弁当は節約にもなるし、嫁の負担を増やしているわけではないのだから、喜ばしいことのはずなのに、なぜか嫁は舌打ちするのだ。
以前、ツイッターにこんな投稿があった。
「1日30時間ほしいという人は、本当に30時間手に入れると、今度は36時間ほしいと言い出すものだ。」
幸せというものは、自分でどの辺に線を引くか、ということなのかもしれない。