迷路

自分とは何かを知るための日記

こういうの学術的になんて言うのだろうか

6時起床。

僕は出かける直前に着替える派なのであるが、ここ最近ジーパンをはいて出かける時に自分に愛想をつかしたくなるような出来事を繰り返している。

何本かズボンは持っていてほとんどがウェストジャストサイズなのであるが、ジーパンだけが少しサイズが大きくて、ベルトがないとスノーボーダーのようにずり落ちてしまうのである。それでもお尻の丸みのところで落ちるのはストップしてくれるので、ベルトがなくても見た目は問題ないのであるが、ずり落ちそうになる感じが心許なくて気持ち悪いので、ジーパンだけはベルトをするようにしている。

問題はここからだ。

ジーパンをはく前にベルトを目の前に用意する。ジーパンをはく。そして次の瞬間もう駅の近くまで歩いてきている。ハッと思い腰に手を当てるとベルトはしていない。

そう、ジーパンを履き終わった瞬間から「ベルトをしよう」という意思が消えてしまい、しばらくしてから思い出すのだ。ここ最近ジーパンを履いた日は全てベルトをするという意思(意思というか、なんつーの?こういうの)が消えてしまうのだ。

多分、履き始める時は「ベルトしよう」と思っているのだが、はいてる最中に別のことを考え出すと、ベルトが頭から抜けしまうのだ。

世の中のみんなはこういうことはないのだろうか。他にも僕は似たようなケースがある。音楽を聞いていて、好きな曲の途中に気に入っているフレーズがあって、そのフレーズを楽しみに曲を頭から聞いているのであるが、好きなフレーズにたどり着く前に、何か他のこと(仕事のことでも、もっと他愛のないことでもなんでも)が頭によぎると、そのほかのことに持って行かれて、気がつくと好きなフレーズを通り過ぎてしまって、また頭から曲を掛け直す。次こそは集中するぞと思っても、またひょいと何かが浮かんだり、いつもは気にしない壁のちょっとした汚れなどが目に入ったりすると、また好きなフレーズを通り過ぎてしまう。そんなことを何度も繰り返すうちに、フレーズに辿りつくまでの曲に飽きてしまい、聞くのをやめてしまったり、好きなフレーズまで早送りしてその部分だけ聞いて、とてつもなく虚しい気分になったり。

ベルトの件も、ホント何度も繰り返している。こういうの学術的になんて言うのだろうか。学術的な名前などついていないのであろうか。

駅の近くで、腰に手を当てて、ハッという顔をしている奴がいたら、それは僕である。