迷路

自分とは何かを知るための日記

びっしょりの自分のTシャツを見てそれを触ったから発散された感を得られると言っても過言ではない

6時起床。

テニスレッスンのお仕事の日。

火曜は朝練に参加する日である。

朝練は疲れるけど、たくさん汗かいて、Tシャツがびっしょり濡れているのを見て「ああ、これだけ僕の体の中にあった憂鬱や嫉妬や劣等感や被害妄想や苦悶や屈辱や差別意識や、、、あらゆる毒素だったんだな」と思う。体を動かしたから発散されたと言うよりは、びっしょりの自分のTシャツを見てそれを触ったから発散された感を得られたと言っても過言ではない。

テニスに限らず、レッスンというものは、上手くなるように教えるというよりは、その人の体の中に閉じ込められている能力を解放させる鍵を探して開けてあげることである。解放されて自由になった体は、様々な発見をしやすくなる。人から与えられた正解より、自分で発見した失敗の方が10倍役に立つと断言できる。ましてや自分で発見した答えは、多分一生忘れない。発見できる環境を、練習していると感じさせない練習を。キーワードはやはり「遊び」である。